ソラリネ。「蝉」とメルヘン解釈

※ネタバレ注意!※


ソラリネ。さんの舞台、「蝉」を観劇してきました。2018年4月21日から4月30日までアトリエ第Q藝術さんで公演が行われています。


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アイステージ、Kステと見てきた綾切拓也さんのストレートの舞台。大昔他の俳優さんを目当てに行ったストレートの舞台が肌が合わなかったことがあったのでびくびくしながら行ってみたら、すごく楽しかったんです。めちゃくちゃ肌に合いました。

 

何度か公演を見ているうちに、たぶんいろんな解釈があって正解にはたどり着けないし、今後知ることもないんだろうなあと思いつつ、ある括りで考察というか妄想してみた解釈がありました。

その解釈を押し通したい!とかそういうことではなく、むしろこのブログを書くことで私の中ではもう終わりにして、次の公演からはまたまっさらな状態で観劇したいみたいな気持ちです。

 

※以下ネタバレが溢れてるので、これから観劇予定の方は絶対読まないでください。

※鈴を3回、空を1回観劇しており、基本的に鈴チームの感想となっています。

 

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※観劇予定のない方も、重たい話が含まれているのでご注意ください。

 

 

それは誰の声だっただろうか。

手にした羽を愛でるような。 束の間の愛を求めるような。 来るべき光に咽ぶような。

それは誰の、何を乞う声だっただろうか。

夜明けの訪れる少し前、季節外れの蝉が鳴く。

 

【登場人物】

女1:ゆきこ「深い森に踏み込む女。その白いワンピースは、彼女の生まれ故郷を思わせる。」

男2:高木「枯れ木にしがみつく男。会社帰りに木登りに勤しみ、今日こそはと意気込んでいる。」

女3:正直な女「心情を包み隠さない女。彼女の身を包むコートは、慎ましやかに夜明けを待つ。」

男4:憧れる男「スマホを頼りに枯れ葉を踏む男。肉親を探しに来るも、そこに肉親がいるかは定かでない。」

女5:孕む女「忍び込んだその小屋で、お忍びの関係を持つ女。一枚の写真をポケットに忍ばせている。」

男6:店長「誘惑に負ける男。掘っ建て小屋を改装し、一国一城の主となった。」

7:榊原「暗闇に潜む女。身を隠しているのか、ただ落ち着くだけなのか、不思議な場所に潜伏している。」

8:モリの人「森を見守るボランティア。森にまつわる知識が豊富で、ヘッドホンから漏れる音楽にはモリへの愛が盛り込まれている。」

 

◆報われないメルヘン解釈◆

 

蝉と聞いて、誰かが森で早く死ぬみたいな話かなと予想していたら、どちらかというと死ぬまでの期間より蝉が生きる高さが重要。上から下へ、そしてまた上へ。簡単に説明をしようとすると、樹海で自殺をした親から産まれた子供たちが、同じ樹海で自殺をし、そしてまた子供が産まれるというストーリー。森の木々は縄で表現されていて、その縄がそのまま人を吊る縄となりました。

会話の中に、メルヘンや童話、魔女と毒、具体的なタイトルも出てきたので、そういう括りで注目をして登場人物たちの行動や台詞を見てみたら、という妄想と役についての感想です。

 

 

・ゆきこ&高木

このふたりは台詞にもあったと思うのですが、「眠れる森の美女」です。あるいはハムレットなのかロミオとジュリエットなのか。茨に囲まれ時間が止まったお城で眠るお姫様と、その茨をかき分けキスで目を覚ませる王子様。ゆきこが高木さんを煽っていく様子が楽しそうでかわいくて大好きなんです。

ゆきこが眠っている間に近づいたキスは叶わず。そして、王子が茨をかき分けるように木から降りてもう一度ゆきこのもとへたどり着いた時には、もうゆきこの時間は止まり、逆に高木の時間は日の出ともに動き出す。

高木は最後仕事に行こうという本能に動かされた瞬間に、抱き抱えていた恐らくゆきこの赤ちゃんを手から落とすけど、自分の子供ではなくても生きているか死んでいるかわからなくても、その様子から高木も相当狂ってしまっているのかなと思いました。

 

・正直な女&憧れる男

ここのコンビは「赤ずきん」かなと。コートで身を包む女が赤ずきんで、憧れる男が自分の思い通りに人を唆そうとする狼。「姉さん、事件です。」ドラマHOTELで有名な台詞に憧れている青年が樹海の中でいなくなった姉を探している途中に出会うこのふたり。正直な女は青年に姉と呼ばれても自分が母親から産まれた最後の子供と知っていたためその呼びかけを拒否するけど、青年を否定しつつもその言葉に飲み込まれていき、最後にはそこにはないけど存在している観念(母のお墓)を見つけて狼のお腹からは抜け出せないままの赤ずきん

それから他にも枯れ葉を踏んでいる登場人物はいるのに、紹介でわざわざ枯れ葉を踏むと書かれた憧れる男について。母を訪ねて三千里の母と三千里や、姉が生きているか死んでいるかは「些末なエッセンス」という言葉で切り捨てる青年。その自分にとってはどうでもいい切り捨ててきたものが枯れ葉のことなのかなあと思ったりしました。あと、肉親の姉貴と呼ばれていたお姉さん、そもそも本当に血が繋がったお姉さんですか?正直な女に向けて囁いたように、お姉さんと呼び続けて1度イエスと答えてしまった女の子が姉とされてしまった?姉貴がこんな弟がいるから寮を出て行ったと言っていて、それは最初引きこもり部分かなと思っていたけど、「姉さん、事件です。」という台詞に憧れた少年に姉と呼ばれつきまとわれたのが原因だったら…血が繋がっているかどうかなんて些末なエッセンスですよね。

正直な女の体型についての描写が他のふたりと比べて妊娠をしていたように見えなくて、「初孫」というワードでえっ?となるくらいだったので、最後に憧れる男が抱いていた赤ちゃんらしきものは、これから生きていける状態だったのかわからないなという気もしています。最後に存在感を増した寮母さんのことも気になります。

 

・店長&榊原(チーフ)&孕む女

ヘンゼルとグレーテル」「シンデレラ」の組み合わせで。終盤のチーフの台詞から店長とチーフは兄妹あるいは双子のような関係性だとわかります。ヘンゼルとグレーテルは食料難のために家を追い出され、お菓子の家にたどりつき、ヘンゼルを太らせて食べようとした悪い魔女をかまどに落として助かるお話。店長とチーフは自分の親も含めたくさんの人が練炭自殺した小屋で洋服を手に入れ、幸せそうに暮らしています。樹海にやってきたお客さんにはおそらく練炭自殺ができるよう準備された宴会場を案内し、落ち葉と人のおっぱいでできたロイヤルミルクティーを振る舞い、そして亡くなった人の服を商品として店を飾っていく。兄妹を迎え入れた魔女の役も兼ねているのかな。

 このロイヤルミルクティーの説明のあたりで、常識人と思われていた店長が実はおかしい方だったと察していく客席の空気感が好きです。

そして母の着飾った服を見つけて試着し脱ごうとはせず、靴を脱いでベッドにあがった孕む女はシンデレラ。お腹の膨らみ方を見ていると、ここのトリオだけちょっと時間の進み方が違うのかなと感じました。正直そんなに時間が経つまで店長とチーフのやっていることに気がつかないのもおかしいとおもったけど、自殺を決めるまでの時間はミルクティーで魔法をかけられて0時になって魔法が解けるまで、時間の進みが早くなっていたとか判断力を鈍らせるとかがあったのかも。落ち葉で紅茶が入れられるかどうかは探してみたけど見つかりませんでした。是非誰か試して欲しいです。

 

・モリの人

魔法使い、猟師、小人…童話に出てくるお姫様でも王子様でもなく、逃げるのを助けたり、会いにいくのを手伝ったりする役目の人たち。ナウシカは好きなので森の人わかります。セルムさまめっちゃ好きです。

唯一チームによって男女両方の方が演じている役です。今回のストーリーに出てくるのはひとりだけど、たとえばゆきこを雪の中から見つけたおじさんとか、憧れる男のGPSになったという寮母さんとか、樹海で産まれた子供を施設に連れて行き、育てている人たちの総称?この人たちも自殺しようとして生き残った人なのか、もしくは自殺した家族を持つ遺族なのか。

 

 

各童話の他に全体を見てのテーマは「白雪姫」。公演の最後に流れる歌はたぶん既存の曲だろうなと思い、歌詞を覚えていた友達がタイトルを見つけてくれました。

 

或る誕生 - 多田武彦 - 男声合唱組曲 雪国にて

www.youtube.com

 

ゆきこはそのまま雪のお姫様。

自問自答をする妃のような高木。

正直に答えるはずの鏡の女。

森で迷ったお姫様や子供を助けるかもしれない小人のモリの人。

たどりついた小屋での生活に馴染んで暮らし始めた孕む女。

毒りんごを美味しいよと唆して渡そうとする憧れる男、店長、チーフ。

 

死に近づいたお姫様を助ける王子様は現れませんでした。

 

 

自殺って病気と事故と殺人の複合のようなものであってどれでもないと思っています。

心が病んで、最後の一歩を滑り落ち、自分の意思で自分を殺す。残されたほうがつらい思いをするってわかっているはずなのに、って思うと周りの存在を否定もしていまうような行為。そういう決断をした自分たちの親への怒りや憎しみや悲しみがあまり語られることはなくて、それは入れ違いの生死のためなのか、おそらく20年前後生きてきて薄れていったからなのか、登場人物たちの会話はほとんど楽しげに進んでいきました。

だから感情にあまり引きずられることもなく、こういった解釈を考えるヒントみたいなものを見つけようとしたり、ただただ森の中で静かにお話を眺める役目になれたり、いろんな見方ができたのかなと思います。

座席は左右の壁際に2列と1列の計3列。2列目だと目線が合うし、それぞれの座席で近くにいる登場人物が変わるので感じ方も変わり、何度でも楽しめる作品でした。

私が見に行くのがあと4回、また違った視点で楽しみたいです!

 


 ※ブログ投稿後の観劇でいくつか単語の記憶違いに気がついたので修正しました。